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みの もんた(1944年8月22日 - )

東京都世田谷区、宮城県栗原郡鶯沢町(現・栗原市)出身。
立教高等学校(現立教新座高等学校)、立教大学経済学部卒業。
神奈川県逗子市在住。血液型はA型。

現在の日本を代表するテレビ司会者であり、世界一メディアでしゃべり続けている男性として非常に有名である。2006年11月28日には、「1週間で最も長時間(21時間42分)、テレビの生番組に出演する司会者」として、ギネスワールドレコーズの認定を受けており、ギネスワールドレコーズ2006年版には、「世界一テレビでしゃべり続けている男」として掲載される見込みである[1]。また、水道メーター製造・販売会社ニッコクの社長でもある。この他、日本火消し保存会顧問や、東北福祉大学客員教授も務めている。

徳光和夫は、大学放送部の先輩にあたる。古舘伊知郎と久保田光彦(元テレビ東京、現フリー)は大学の後輩。政治家の御法川信英は遠縁。

愛称は『みの』『みのさん』『みのちゃん』。ただし『みのちゃん』と公の場で呼ぶのは和田アキ子と徳光和夫ぐらいである。2男1女がいる。愛犬はミニチュア・ダックスフントのテュフォ・フォーレ。

幼い頃から不自由なく育ったが、伊勢湾台風で父親が経営する工場が全壊し一転して家計が苦しくなった。そのため、高校を辞めざるを得ない状況に追い込まれたが、母親の言葉で奮起して退学を思いとどまる。そして、アルバイトをしながら学費を捻出し、夜は猛勉強に励む毎日を過ごす。

立教大学に入学後は、放送研究会に入りアナウンサーとしての基礎を築く。そして、就職の時期に近づいた頃、父親から経営する愛知県名古屋市の水道機器メーカー・ニッコクに入社を誘われるが、アナウンサーを目指すため拒んだ。

産経新聞に報道記者として入社するが、フジサンケイグループの新人研修後にAMラジオ局の文化放送に転属し、アナウンサーとなる(1967年4月入社、当初はニュース専門だった)。同期のアナには落合恵子などがいる。そして、ラジオ野球中継ベンチレポーターの草分けで、深夜放送『セイ!ヤング』の初代パーソナリティー(1969年6月~1973年3月まで担当)として、若者の教祖的存在になる。

ほぼ同じ頃、洋楽ランキング番組『オール・ジャパン・ポップ20』(『全国ポピュラーベストテン』の前身)では、オープニングで「♪みのみの~、もんた、みのもんた」と、独特の節まわしでリスナーの関心を惹きつけた(高橋小枝子とDJを担当)。

後に、『ワイドNo1』、『ダイナミックレーダー~歌謡曲でいこう!~』等を担当し、文化放送と同じくフジサンケイグループに所属するフジテレビの番組にも出演。オールスター水泳大会の司会などで人気を博したが、人事異動で営業部へ配転される。

1979年9月に文化放送を退社。父親が経営するニッコクに勤務した。その傍ら、東海ラジオでニュース担当の契約アナウンサーも務めた。一時は東海ラジオへの番組出演も打診されたが、本人は「文化放送と東海ラジオの現場の雰囲気は違うから」と言って、断っている。

その後『プロ野球ニュース』の週末版にてキャスター業に復帰し、現在では、最もレギュラー番組の多い司会者の一人である。

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